事例1 【部下の褒め方研究】部下をうまく褒められない新任係長の悩み


同僚からの意外な話
 伊東係長が工場の門を出ようとすると,「ちょうどいいところで会った。少し話があるからお茶でも飲んでいこう」と営業販促課の松宮係長から声をかけられました。いつもなら居酒屋となるのに珍しくコーヒーでも飲んで行こうといいます。松宮係長とは同期で,昨年共に新任の係長となった普段から何でも話せる間柄です。
 松宮係長は席に着くなり,注文したコーヒーが来るのも待たず伊東係長に向かって,「小田君がうちのチームに戻りたがっているようだが,何かあったのかね」と,突然尋ねてきたのです。小田君は昨年まで松宮係長が現場責任者である営業販促課に所属していたのですが,今年の人事異動で伊東係長の製品開発課へ配置替えとなった入社7年目の中堅社員です。その小田君はチームに来てから10ヵ月ほど経ちますが,格別目立ったところもなく問題もありません。それなのに松宮係長がなぜそんなことを急に言い出したのか,伊東係長にはわからなかったのです。
 松宮「いやー,お前だから話すが,昨日うちのメンバーの飲み会に小田君が顔を出し,いまの仕事に張り合いが持てないと愚痴ってたと聞いたので,何か問題でもあったのかと気になっていたんだよ」
と,思いがけないことを言います。
 松宮係長の話によると,昨夜,営業販促課のメンバーが飲み会に小田君を誘ったところ彼が顔を出したので,その席上メンバーの一人が小田君に現在の様子を聞いたところ,いまの仕事に気乗りしていない様子だったというのです。
 職場での小田君の様子からはそんなことは微塵も感じられなかったため,予想もしないその話に伊東係長は内心驚かされました。

伊東係長の見た小田君の仕事ぶり
 製品開発課の実質的な現場のチームリーダーだったK君が家業の都合で急に退職したため,中堅クラスで仕事のキャリアも近い小田君が後釜として選ばれた ―― というのが,配置替えとなった経緯です。
 そんなこともあり,伊東係長は当初,小田君にはチームリーダーとしての役割を期待していたのですが,当の本人はどうもその気はなさそうな様子のため,やや期待外れの感がありました。それというのも小田君の前の職場での評価は決して悪くなく,むしろ有能で将来的にも期待できる人物と聞いていたからです。当初は異動してきたばかりで遠慮しているのかなと思ったのですが,彼が製品開発課に来てからそろそろ10ヵ月近く経つ姿を見ても,小田君はみんなのまとめ役をやるタイプではなく,自分に与えられた製品開発の試案づくりの仕事を一人で抱えてコツコツやっており,そのほうが彼には性格的に向いているようなのです。そこで小田君にはいちいち細かいことは言わず,仕事は本人に任せてやらせるように配慮し,意識的にあまり立ち入らないようにしてきています。そのほうが彼にとって仕事がやりやすく,やる気にもなるだろうと考えたのです。それだけに小田君がいまの仕事に何が不満なのか,その理由が伊東係長にはまるでつかめませんでした。

理解できるが得心のいかない同僚の言葉
 そこで松宮係長に対して,自分が部下の小田君に抱いている印象を話すと,松宮係長は人の話をさえぎるようにして,
 松宮「だからダメなんだよ。小田君みたいなタイプにはこちらから相手との距離を意識的に短くして,積極的に相手を褒めてやる気を持たせることが必要なんだよ」
と言うのです。その言葉を聞いて伊東係長は松宮係長の言うことも理解できるものの,いまひとつ気持ちに何か引っかかるものを感じました。それは部下のほうから上司に近づくのはともかくとして,上司からわざわざ部下へ近づきその距離を短くする必要があるのだろうかという疑問があったからです。
 それと併せて,松宮係長が言う「こちらが積極的に褒めて,相手にやる気を持たせろ」というのは,いかにも上司が部下を“おだて”て相手を動かすようであり,それは俗にいう“よいしょ”することではないかと抵抗感を覚えるのでした。その自分の気持ちを率直に松宮係長にぶつけると,彼から次のような言葉が返ってきたのです。
 松宮「部下が来るのを待っているのでは,コミュニケーションはうまくいかないよ。相手との距離は近ければ近いほうがいいと思うよ。それと,君の言う“おだてる”と“褒める”は本質的に違うよ」
と言いながら彼流の考え方を述べるのでした。

伊東係長の体験から得たもの
 松宮係長の言葉を聞きながら,伊東係長はかつて自分の上司だったA課長のことが頭に浮かびました。それは伊東係長がまだ中堅社員だった頃のことです。A課長は何事にも厳しく,部下を褒めるということは滅多にしない上司だったのです。事実,伊東係長は上司のA課長に褒められたという記憶はなく,むしろ逆に厳しく叱られたという思いのほうがいまも強く残っています。また,A課長はどんなに努力しても結果が出なければ仕事の評価に値しないという主義で,実績評価というのが口癖の管理者だったのです。
 そんなタイプの上司だけに自ら部下に近づくということはなく,部下とは常に一定の距離を置いて職場を管理していたのです。伊東係長はこのようなタイプの上司の下で鍛えられ,中堅社員時代を過ごしてきたのでした。しかし,いま自分がなんとか係長になれたのもA課長のような厳しい上司に鍛えられたおかげだと思うことがあります。それだけに当時の自分のことを思い出すと,小田君には物足りなさを感じるのでした。
 また,退職したK君は自分から新しい仕事の提案をしてきたり,自らすすんでメンバーをまとめるリーダー役をこなしていたという印象でした。そう考えると小田君は能力的には申し分ないのですが,自分の殻に閉じこもり仕事をするような印象が強く,なにかひ弱な感じがしてならなかったのです。
 伊東係長はそんな自分の体験からも,小田君との距離をこちらからあえて短くしたり,彼が現在取り組んでいる製品開発の試案づくりの結果が出ていないのに,こちらから積極的に部下を褒めるのはどうなんだろうと思っていたのです。

伊東係長の悩み
 しかし,目の前にいる松宮係長はかつての上司のA課長とはまるで対照的で,根が陽性なのか,自分から部下に近づき,気さくに冗談を言って部下を巻き込んでしまうタイプです。そんなこともあり,松宮係長は“部下のやる気を引き出す職場リーダー”と周囲から高い評価を受けています。小田君が前の職場で積極的に仕事の意見具申をしたり,自分からすすんで他のメンバーと関わりながら力を発揮していたというのも,そんな松宮係長の雰囲気に巻き込まれていたようにも思えるのでした。そんなことを考えていると,松宮係長が少し真面目な口調で「部下をやる気にさせるには,とにかくいろいろ工夫をしてまず部下を褒めることだよ」と言います。その言葉を聞いて伊東係長は,いまの自分のやり方と松宮係長の言うやり方では,果たしてどちらのほうがよいのだろうかと考えてしまうのでした。そして,同僚の松宮係長が言う“部下の褒め方の工夫”とは,一体どんなやり方があるのだろうかと,悩んでしまったのでした。

 解 説 ―― 解決策のヒント


 部下を育てる上手な褒め方,叱り方は,動機づけの基本とされる「褒め方,叱り方の原則」を自分のものとして身につけ,実践の場で応用していくことがポイントです。そこで,「褒め方,叱り方の原則」をもとにして,先にみてきたそれぞれの事例を考えていきましょう。なお,この「部下の褒め方,叱り方の原則」はワンポイントレッスンにも紹介しますので,参考にしてください。

設問1
部下との距離感
 伊東係長は部下の小田君の性格からみて,一人で仕事をさせたほうがよいと思い,あえて口を出さずに任せていました。ところが小田君はいまやっている仕事に張り合いが持てず,その不満を前の職場のメンバーには話すものの,現在の上司である伊東係長にもいまの職場のメンバーにも打ち明けていません。そのため伊東係長は小田君が何に不満なのか,実際のところ話を聞かされるまではまるでつかめないでいたのです。
 これだけみても,上司である伊東係長と部下の小田君との意思疎通は断絶しており,二人の間に距離があることはわかります。しかし,伊東係長は松宮係長から小田君との距離を短くするように忠告されても,上司である自分から部下との距離を短くすることには抵抗感を抱いています。その背景には,かつて上司であったA課長の言動に多分に影響され,それが原因となっていたといえます。そしてA課長がそうだったように,上司から部下に近寄るのではなく,部下のほうからそれはやるべきものだという思い込みが小田君との間の距離を縮められない原因になっていたといえます。そして,このままの状態が続けば続くほど,二人の間の距離はますます広がることは目に見えています。

設問2
“褒める”ことと“おだてる”こととの違い
 伊東係長の話の様子から,同僚の松宮係長は,自分から意識的に部下との距離を短くし,積極的に部下を褒めて相手にやる気を持たせることが大事だとアドバイスしています。しかし,これにも伊東係長は抵抗を覚え,なかなかその気にはなれません。
 とくに松宮係長の「積極的に部下を褒めろ」という言葉が相手をおだてて動かすように思えてあまり気乗りがしていない状態です。すると松宮係長が“褒める”と“おだてる”は本質的に違うといいます。では,両者はどのように違うのでしょうか。ここでその違いを考えてみましょう。確かに,“褒める”と“おだてる”には次のような本質的な違いがあります。
⇒“褒める”と“おだてる”の違い

褒める

おだてる

相手の行いや良い点など,優れたところを評価し,そのことを相手に伝え話す

相手が喜ぶようなことを言って,相手を得意にさせて,都合よく相手を動かそうとする

相手のどこが良いかを,具体的に伝える

褒めても抽象的になりがちになる

心からの気持ちを言葉にし,相手に伝える

口先だけの言葉で,相手をその気にさせる

相手から見返りを求めない

相手からの見返りを期待する

 このように部下を心から“褒める”には,相手の行動や良い点を日頃からよく見て把握していなければ,実際の実のある話はできず,本当の気持ちは相手に伝わりません。そのためには松宮係長の指摘するように,日頃から部下との距離を自分から短くする努力が必要といえるのです。

設問3
部下との距離をどう縮めるか
 上司は部下が近づくのを待っているのではなく,自分からすすんで部下に近づき,相手とのコミュニケーション(意思疎通)の距離を短くすることが必要です。それというのも,人間関係はお互いのコミュニケーションの距離によって,その良否がほぼ決まってしまうといえるからです。
 この人間関係におけるコミュニケーションの距離が及ぼす影響については,アメリカの文化人類学者E.T.ホールの有名な学説があります。それによるとコミュニケーションに及ぼす距離には次の4つがあるとし,その距離の長短によって人間関係の親密さは決まるとしています。

⇒コミュニケーションに及ぼす距離の影響
@ 密接距離0〜45cm・・・・・・・・・・・相手との関係は親密
A 個人的距離45〜120cm・・・・・・・手を伸ばせば触れることができる距離
B 社会的距離120〜360cm・・・・・・職場など社会的な公式な場での距離
C 公衆的距離360cm以上・・・・・・・二者間のコミュニケーションには不適切
 そして,親しくなればなるほどその距離は短くなります。@の密接距離は夫婦の間がこれにあたり親密距離とも呼ばれています。Aの個人的距離は親しい間柄の友達関係がこれにあたり,Bの社会的距離は通常の仕事の場の距離とされ,ときに事務的距離,一般的距離ともいわれます。Cの公衆的距離は演説会や講演会など相手の顔がよく判別できないくらいに離れている距離とされています。
 ここから推測できることは,伊東係長と部下の小田君との現在の距離間はB社会的距離(事務的距離)にとどまっている状態と考えられます。この距離間ではなかなか個人的な悩みや不満は打ち明けられません。そこで小田君の不満をつかむためには,上司である伊東係長が自分からすすんで部下の小田君に近づき,現在のこの距離をさらにA個人的距離の間隔にまで縮めていくことが必要だといえます。
 なお,相手との距離は短いほうが相互の関係は密になりますが,注意したいのはあまり近すぎると相手は圧迫感や嫌悪感を抱く恐れがあります。その傾向は若い世代に強く,上司が一方的に近づくと“うっとうしさ”を感じて,自分から上司が近づくのを避けるということも起こる恐れもあるので要注意です。それらのことも頭に置いて,小田君との距離を見直していくことが必要です。

設問4
部下をやる気にさせるには
 工夫して褒めることがやる気を高めることにつながるといえます。では,どんな工夫をすればよいのでしょうか。
 動機づけとは,外から刺激を与えて相手にやる気を起こさせることですが,部下をやる気にさせる褒め方をするには,まず日頃から相手が心を開くための下地づくりが大切です。そのために効果的なのが,普段の部下との接触の中での「笑顔」と「ひと言」による働きかけです。まず,「笑顔」の効用から見ていきましょう。
 次の図を見てください。あなたが快いと思うのはどちらの表情ですか?……いうまでもなく左側の笑顔を選ぶはずです。

 このように笑顔には理屈抜きに人の心を開き,気持ちを明るくさせる効用があります。そこで部下を動機づけ,相手のやる気を高めるためにも,上司は次のことをモットーに部下に接しマネジメントしていくことです。

<笑顔の職場マネジメント>
@ どんな状況でも笑顔で部下と接する
A いつも笑顔を絶やさず,嫌な顔をしない
B 忙しいときも笑顔でいる
C 相手に媚びるのではなく,笑顔は人と接する礼儀と心がける
D 仕事に対するこだわりは笑顔と心得ておく


上司・リーダーの笑顔で変わる職場のムード
 仕事はどんな仕事であれ,結果が問われるという厳しさがあり,甘えが許されません。現に,事例でも伊東係長は小田君がまだ仕事の結果を出していないため,積極的に褒めるわけにはいかないと思っています。しかし,いくら仕事が厳しく結果が求められるといっても,上司の表情まで厳しいのでは,職場のムードは硬直化し人間関係にも影響してきます。
 職場リーダーの上司は職場を活気づけていくムードメーカーとしての役割が求められ,自分からすすんで笑顔を見せて行動していくことが必要とされています。自分の笑顔で職場の雰囲気を和らげる積極姿勢が必要です。そのためにも次の言葉を常に頭に置いておくことです。「楽しいから笑うのではない,笑うから楽しくなるのだ

褒め方はいろいろ工夫して行う
 松宮係長のアドバイスのように,部下の褒め方ではいろいろなやり方を工夫していくことが必要です。通常は上司が自分の言葉で部下の良い点をあげ,直接的に褒めるというのがごく一般的です。
 ときには人を介して部下を褒めてもらうという方法もあります。先の事例でいえば,小田君の良い点や行動をとらえそれを松宮係長に伝えて,松宮係長の口から褒めてもらうというやり方が考えられます。この,人を介して部下を褒める方法は効果的なので頭に置いておきましょう。

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