事例2 部下のモチベーションを高め任せた仕事を遂行する


 C社は,介護関連サービスを営む創業10年の若い会社です。C社社長は,豊富な営業経験と業界知識を基に一から通所介護(デイサービス)の事業をはじめ,事業が軌道に乗りはじめるとフランチャイズ化して,全国各地での開業支援・運営支援を行いました。経営のスタイルも,営業肌のオーナー社長らしく従業員をぐいぐいと引っ張っていくタイプです。介護事業も,フランチャイズ化してから5年が経過し,全国にチェーン店を展開するようになりました。近年は,シナジー効果の高い別事業の立ち上げをあれこれと画策しています。
 下田さんは,C社がフランチャイズ化に取りかかった直後に入社し,社長の下でフランチャイズ加盟開発と全国各地の介護事業所の立ち上げに携わり,現在は社長直属の新規事業開発室で室長として実験段階にある複数の新規事業を束ねる役割となっています。そのうちの一つは介護関連器具の販売で,社長の発案を受けた下田さんが開発室メンバーに指示し,数ヵ月にわたってビジネスモデルについて議論と試行錯誤を重ねています。すでに直営店舗やインターネットでの試験販売を行い,現在は事業パッケージもほぼ完成を迎え最終的な検証を行っている段階です。C社開発室はこのほかにもいくつかの新規事業案件を抱えており,6名の開発室メンバーは案件ごとのチームに分かれてデータ分析やマニュアル作成,取引業者との商談などで仕事に追われる日々を送っています。
 隔週月曜日に行われる開発会議は,それぞれの新規事業の進捗を共有し,課題についてはチームの枠を超えて開発室全員でアイデアを出して解決策を話し合います。社長も毎回参加しているこの会議の中で,介護関連器具販売事業の報告の際に社長は報告データに複数の間違いを発見し,最終段階でのミスを厳しく注意しました。データの間違いは,前回の会議で検証が必要な部分について検証や更新を忘れており,そのままにしてしまったという初歩的なミスでした。その日の会議は,社長が改めて新規事業の重要性を話し,また,介護関連器具販売事業が当初の計画よりもかなり遅れていること,先日参加した展示会で新しい事業のアイデアが浮かんだことを伝えたことなどで予定時間をかなり超えて長時間にわたりました。
 会議後に,社長は下田さんを社長室に呼び,開発室のメンバーに危機感や緊張感が不足していることを話しました。「下田くん,なぜ新規事業を成功させる必要があるのか,メンバーに説明しているかい? 開発室としての目的を見失っているから,ミスが多くなったり,計画が遅れたりするのではないか?」と指摘しました。下田さんは,「申し訳ありません」と社長に謝りました。社長と下田さんは会社草創期からの長い付き合いということもあり,社長にとって下田さんは,感じたことを素直に話せる社内では貴重な存在です。下田さんが自分自身をとても信頼してくれていることもつねづね感じています。しかし,下田さんは社長から言われたことを忠実に実行する反面,自分の意見を発言する場面が少ないことは社長もときどき歯がゆく思うことがありました。「次回の会議までに,メンバー全員に会社が開発室に期待していることを再確認してほしい」と社長は下田さんに伝えました。
 一方,介護関連器具の販売事業の担当である倉持さんは,会議翌日の昼休みに同僚の高橋さんと話していました。その会話の中で,倉持さんは「下田さんは,社長の新規事業についてどう考えているのかよくわからないよ。昨日の会議資料もデータ修正の件で社長にかなり怒られたけど,下田さんは,結局あの件何も発言しなかった。でも,あの資料は会議前に室長に確認して承認してもらったんだよ。社長が話したアイデアベースの新しい事案はいつも下田さんから振られて,アイデア自体はすごく面白いんだけど,いざ調査となるといろいろわからないことも多くて悩むことがある。でも,下田さんに相談したくてもいつもパソコンを見て難しそうな顔をしているし,話しかけるタイミングがわからないんだよね」とぼやいています。
 高橋さんは,不満そうに話す倉持さんを慰めながら,「倉持くんは,ただでさえ忙しいのに,いきなり振られた仕事でもしっかり対応してすごいと思うよ。自分もちょっと前に下田さんに仕事を頼まれたけど,自分もそのとき本当に手いっぱいだったので,何で自分なのですか? 急ぎですか? って聞き返したら,『わかった』と言われてそのまま結局仕事は振られなかったよ」と話しました。
 その日の午後,高橋さんの所属するチームが受け持つ新規事業案件について下田さんを交えてミーティングを行いました。その際に高橋さんが「下田さん,この事業について先行している一部の他社はかなりすすんでいると思いますが,下田さんはこの事業化が成功する勝算やポイントについてどのように考えていらっしゃるか教えてもらえませんか」とたずねたところ,下田さんはしばらく間をおいて,「事業が成功するかどうかはやってみなければわからない。しかし,社長がやろうと言ったということは勝算があるからなんじゃないかな」と答えました。
 これに対して高橋さんは「社長ではなく,下田さんのご見解を伺いたいのですが」と返しました。参加者の視線は下田さんに集まり,しばらくの間沈黙が流れました。

 解 説 ―― 解決策のヒント



【 設問1 】
● 部下のモチベーションを高めて行動させる仕事の「意味づけ」
 リーダーが部下に仕事を任せる際には「意味づけ」が欠かせません。「意味づけ」とは,その仕事の目的や全体像を相手に理解させることをいいます。これにより,部下の達成意欲や自発性が高まり,困難にぶつかったときにあきらめずに挑戦や工夫を続けることが可能となります。  また,部下に「意味づけ」を行うときのさまざまなリーダーの働きかけが,部下の仕事へのモチベーションを高める要素となります。任せ上手なリーダーは,部下が嬉々として任された仕事に取り組み,能力を発揮する後押しをしているものです。  下田さんが統括する開発室は,定例の会議でも社長が参加し意見を述べるなど,社長直属の部署ということもあり,比較的経営トップの気持ちを聞く機会が多い部署といえるでしょう。このような場合に,下田さんが部署の責任者として社長の思いや会社全体の目的を伝えることを上位者に任せてしまうことで,下田さんが自ら語る機会が減り,結果的に「何を考えているのかわからないイエスマン的な人」と部下からは評価され,信頼関係の構築に苦労することになります。  意味づけの時間は,部下に目的を確認させチームを一つにまとめる重要な時間でもあり,リーダーと部下の信頼関係を積み上げる時間でもあります。したがって,意味づけは仕事を任せるときだけに行うのではなく,任せた仕事の確認のとき,とくに進捗の遅れなどのトラブルが発生しているときには,リーダーがその場で自分の言葉で目的や価値を伝え,当初の気持ちを思い出させることが大切です。  株式会社リンクアンドモチベーションの小笹芳央氏によれば,仕事への意欲(モチベーション)は,以下の3つの要素が大きく影響するとしています。

 @ 仕事自体の魅力 ―― 「やってみたい」と思う気持ち
 A 目標達成の可能性 ―― 「できそうだ」と思う気持ち
 B 未達への危機感 ―― 「やるしかない」と思う気持ち

 そして,それぞれの気持ちを引き出すリーダーの主な注意点を次のように解説しています。

@ 仕事自体の魅力 ―― 「やってみたい」と思う気持ちを引き出すために
・上位目的を示し,部下の仕事の価値を理解させる
 目先の業務をこなすだけでなく,その業務が何に結びついているのか,何の目的で行われているのかなど,「上位目的」や「理念」を語ることは非常に大切です。事例でいえば,開発室の仕事は,新規事業で会社の売上を高めることはもちろん,新しいサービスで顧客に喜んでもらう,そして,世の中の困っている人を助ける仕事であることなどを伝えることで,単に売上目標や納期目標を達成させるだけでなく,業務の意味を理解させ意欲的に取り組めるように後押しします。
 上位目的の認識によって仕事に対する姿勢が変わるたとえとして,イソップ寓話の一つといわれている「3人のレンガ職人」の話があります。リーダーがどのような目的を示すかによって,部下の行動は大きく変わってくるのです。


 コラム 「3人のレンガ職人」(要旨)

 ある旅人が町を歩いていると,1人の男が道の脇で険しい顔をしながらレンガを積んでいました。旅人は,その男のそばに立ち止まってたずねました。「ここでいったい何をしているのですか?」
 すると,男はこう答えました。「見ればわかるだろう。レンガ積みをしているのさ。毎日毎日,雨の日も風の日も,暑い日も寒い日も1日中レンガ積みだ。なんでオレはこんなことをしなければならないのか,まったくついてない」
 旅人は,その男に「たいへんですね」と慰めの言葉を残して歩き続けました。

 しばらく行くと,一生懸命レンガを積んでいる別の男に出会いました。しかし,その男は,先ほどの男ほどつらそうには見えませんでした。そこで,また旅人はたずねました。「ここでいったい何をしているのですか?」
 すると,男はこう答えました。「オレはね,ここで大きな壁をつくっているんだよ。これがオレの仕事でね」。旅人は「それはたいへんですね」と,いたわりの言葉をかけました。すると,意外な言葉が返ってきました。「なんてことはないよ。この仕事でオレは家族を養っているんだ。この仕事があるから家族全員が食べていけるのだから,たいへんだなんて言ったらバチが当たるよ」
 旅人は,その男に励ましの言葉を残して歩き続けました。

 さらにもう少し歩くと,別の男がいきいきと楽しそうにレンガを積んでいました。旅人は興味深くたずねました。「ここでいったい何をしているのですか?」
 すると,男は目を輝かせてこう答えました。「ああ,オレたちのことかい? オレたちは歴史に残る偉大な大聖堂をつくっているんだ」。旅人は「それはたいへんですね」と,いたわりの言葉をかけました。すると男は,楽しそうにこう返してきました。「とんでもない。ここで多くの人が祝福を受け,悲しみを払うんだぜ! 素晴らしいだろう!」
 旅人は,その男にお礼の言葉を残して,元気いっぱいに歩きはじめました。


A 目標達成の可能性 ―― 「できそうだ」と思う気持ちを引き出すために
・声掛けや成功体験の共有で自己効力感を刺激する
 「自己効力感」とは,「自分の行動を自分自身が統制しているという信念」「自分が外部からの要請に応えているという確信」など,自分に対する信頼感や有能感のことをいいます。目の前に課題がある場合,自己効力感の高い人は「自分はこのくらいまでできるはず」と予測することで,「やってみよう!」とモチベーションが高まります。逆に,経験や達成体験が少なく自己効力感が低い人は「どうせできない……」となかなか行動に移れなくなる傾向があります。
 開発室メンバーは,各自が仕事を真摯に行い自己効力感が決して低いわけではありません。しかし,社長はこの業務の進捗の遅れを問題視しています。この解決策の一つが,リーダーによる働きかけで部下の自己効力感をさらに高めることです。
 具体的には,能力があることや達成の可能性があることを言語で繰り返し説得する「言語的説得」という方法があります。下田さんが,「君たちならできる!」と部下の能力や部下に対する信頼の気持ちを自分の言葉で語ることで,部下は自信をもって取り組むことができ,さらに能力を発揮するでしょう。また,過去の経験談を話したり,同程度のスキルをもった人物に会う機会をつくったりすることで,「あの人にできるなら自分にできないはずはない」と感じさせる「代理経験」という方法もあります。
B 未達への危機感 ―― 「やるしかない」と思う気持ちを引き出すために
・自分で決めた目標を宣言して主体性や責任感を発揮させる
 人は,他人から指示されるよりも「自分で決める」ことで,行動に対する自主性がはるかに高まります。下田さんは,新規事業のアイデアやヒントを部下と一緒に話し合う時間をつくり,また,仕事を任せる際に小さなことでも選択する場を与える工夫をすることで,受け身で指示を待つ姿勢から自分なりの工夫や問題意識を仕事で活用できる実感をもたせていくことが重要となります。
 また,周囲に目標や成果などを宣言する場をつくると,「皆に宣言したからには,達成しなければ恥ずかしい」という気持ちが行動を後押しします。このように,部下が「自分で決める」場面を演出することで,責任感が高まりモチベーションがあがるきっかけとなります。

 さらに,開発室のメンバーのモチベーションを高めるには,下田さんが自ら新規事業に対して積極的に主導する姿勢を見せ,実際に陣頭指揮を執るなど行動に移すことが必要です。部下にとって「尊敬する人がいる」といったロールモデルの存在は,仕事への向上心や前向きな気持ちを生み出す重要な要素となります。リーダーとしての影響力を,立場や権威だけでなく成果や専門性でメンバーに与えていくための行動を心がけましょう。

【 設問2 】
● 部下を主体的に動かす助言・相談
 部下に任せた仕事が予定どおりすすんでいるかは,リーダーにとって気になるところです。メンバーの成長を考え,仕事を任せたあとは一切口を出さないリーダーもいることでしょう。下田さんもそのような期待をもっているかもしれません。しかしながら,期限まで待っていても何の報告もなく,蓋を開けてみて結局部下が仕事を完成させていなければ,結果責任はリーダーが負うことになり,リーダーが慌てて対応したという体験談も多く聞かれます。
 任せたあとのリーダーの行動も,仕事の成功を大きく左右します。部下の成熟度に応じて進捗報告のタイミングを決めて,上手な助言・相談時間の活用を行うことで,部下の自主性や仕事の完成精度を高めることができます。以下に,助言・相談のポイントをあげてみましょう。
@ 仕事を任せきりにせず,ホウレンソウは上司からすすんで
 経験豊富で自立しており,必要な報告を適切に行う部下に対しては報告のタイミングを任せてもよい場合が多いでしょう。しかし,部下の経験が少ない場合や仕事内容が部下にとってチャレンジングな場合は,「順調に仕事をすすめられているか?」「壁にぶつかって悩んでいないか?」など気になる点も多くあります。
 そのようなときは,ホウレンソウ(報告・連絡・相談)を部下に求めず,上司から働きかけることが任せた仕事を円滑にすすめ目的を達成しやすくさせることを認識しておき,リーダーから積極的に声をかけホウレンソウの時間をとりましょう。
A 部下から話しかけられやすい雰囲気づくり
 部下にとって,ホウレンソウは少なからず緊張を強いるものです。よくない経過や結果を伝える場合はなおさらです。「あの表情はイライラしているな」「いまは忙しそうだから,報告はあとにしよう」など,部下はリーダーの様子をとてもよく観察しています。逆に言えば,リーダーの態度一つで,せっかくの情報収集のチャンスを逃してしまっている可能性もあるでしょう。
 「任せ上手」なリーダーは,つねにメンバーの動きに目を配り,普段から気さくに声をかけています。声をかけられやすい雰囲気をつくっておくことは,いざというときに非常に強い力を発揮します。
B 部下からの相談に喜んで対応する姿勢
 悪い報告をしたときの上司の表情や返事は,メンバーの心にずっと残ります。悪い報告こそ親身に対応し,一緒に解決策を考える姿勢を見せることが大切です。また,部下が改善案を話し出すと,自分が否定された気持ちになり不機嫌になったり感情的になったりするリーダーもいますが,それでは部下からの相談は減る一方となってしまいます。
 忙しそうに書類に目を通しながら,メールを読みながら部下の報告を聞くのではなく,部下の報告する表情をしっかり見ることで,報告の表面的な部分だけでなく背景をつかむこともできます。そして相談の最後にリーダーが発したねぎらいや激励の言葉を,部下はとてもよく覚えているものです。「何かあれば助けてくれる」という安心感が,部下の行動のエンジンになるのです。
C 答えを教えるのではなく,すすめ方を引き出す
 部下の自発性を高めるには,部下からの相談に対してどのような回答をするかも重要になります。ときには判断を求められる相談もありますが,まずは部下なりの解決策をもっているのかどうかを聞き出しましょう。
 優秀な部下であれば「私は○○すればよいと考えます」と,相談の際に一つまたは複数の対策案をもって相談しますが,経験の浅い部下や高い壁にぶつかっている部下は,対処の仕方がわからず止まっていることも多くあります。

 リーダーは,そのような部下に対して,部下の悩みと部下のもつ強みを組み合わせ,仕事をどのような順番ですすめていけばよいのかを対話の中から引き出していきましょう。答えをすぐに教えることは簡単ですが,つねに答えを与えるリーダーの下に自発的な部下は生まれません。

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