|
|
「痛い」と言わせてしまった私の思い込み
私が知的障害のある人たちの陸上競技練習会にボランティアコーチとして参加しはじめたときのことでした。知的障害のある参加者の中で走るのが最も速いYさんと,ボランティアコーチの中で最も速い私は,常に練習パートナーとしていっしょに走っていました。
いつものように長距離走の練習では,私はYさんの横にぴったりと付いて,「いいぞ,もっと速く,もっといけるよ!」とYさんに大きな声をかけながら,ときには背中をポンポンと押しながら,軽快に並走していました。すると,Yさんは途中で急に立ち止まり,自分の片足を指さしながら,私を見上げて言ったのです。
「痛い」
Yさんはどうやら脚を傷めている様子でした。私はそれまで,Yさんの脚が痛いことに気づかないばかりか,Yさんの表情や体調のことなど,考えることすらしていませんでした。出会って以来,言葉をいっさい発することがなかったYさんから初めて聞いた言葉が「痛い」だったのです。私は大きなショックを受けました。
私は,Yさんや知的障害のある人に偏見を持っていたことを,だいぶ後になって気づきました。知的障害のある人は,
|
|
・伝えてもわからない,何ごとも不器用で下手,能力が低い
・知らないから教えてあげなければならない,しかし教えるにも限界がある
・だから私がやってあげよう,引っ張ってあげよう,それが相手のためになる
|
|
これこそが,私が抱いていた根拠のない思い込み,つまり「無意識の偏見」なのです。もし相手が障害のない人であれば,「今日はどのように走りましょうか?」「どんなサポートをしてほしいですか?」などと聞いたでしょう。たとえ障害があってコミュニケーションがうまくとれなくても,意志の確認や合意が必要であることはいうまでもありません。しかし私は無意識の偏見により,そのことを完全に省いてしまったのです。
このエピソードから10数年経ち,Yさんと私は今でも練習パートナーとしていっしょに走っています。あれから私は無意識の偏見への認識を高めるようになり,Yさんや知的障害のある人たちとの関わり方が変わりました。今では,Yさんから私へ「いいね!」など,あいづちも出るようになり,お互いの信頼関係が強くなったことを実感しています。
一人ひとりがユニークで価値ある存在
あなたは,誰かに対して次のような考えを抱いていることはありませんか?
|
|
・自分のほうが上だと思って相手を軽く見ている(見下す)
・相手の力を自分より低いと見てばかにしている(侮る)
・自分より能力・人格が劣っている,価値の低いものと見ている(蔑む)
|
|
人を肯定的に見るか,否定的に見るかによって,その人への態度や関わり方は全く変わります。例えば,職場に年長者がいて,少々厄介な人,面倒くさい人,考えが古い人,などと捉えていることはありませんか?
もし,当てはまる人がいたなら,その人を「可能性のある人」と捉えてみて,いろいろ話し合ってみて,お願いしてみて,協力を求めてみてはいかがでしょうか。
私たちは一人ひとりユニークです。その人のユニークさとは,人は一人ひとり違い,取り換えのきかない,かけがえのない存在である,ということです。一人ひとりの違いを活かし,違いをつなげていくことで,その人本人や社会全体において,新しいアイデアや価値を見出していくことができるのです。
そのことが無意識の偏見への気づきへとつながり,会社や組織のチーム力を高めていくことにもなります。
|
|
|
|
|
|