事例1 キャリアの停滞による“燃えない中堅社員”


 山本さんは会社から,セカンドキャリアを考える“キャリアデザイン研修”を受講するように言われました。「定年なんてまだ先の話」と思っていた山本さんは少し驚きました。しかし考えてみると,役職定年で管理職を離れた先輩たちとあと少しで同じ年齢に達します。少し前まで若手と思っていた社員が自分と同じ管理職になっています。
 仕事のすすめ方も大きく変わりました。連絡も通達もメールを使い,社内でも相手の顔を見ながら打ち合わせをする機会は減ってきました。残業削減やワークライフバランスを優先する必要もあるため,部下たちと酒を飲みに行き,腹を割って話をするようなことはほとんどなく,コミュニケーションをとる機会も減ってきました。山本さんは,自分が若かったときのように,チームが一丸となって目標達成に邁進することは難しいのかもしれないと考えはじめていました。

 山本さんは研修で,自分の仕事人生を振り返るために“充実度・成長曲線”(図表3)を描かされました。社会人になってからどのようなときに充実感を感じたか,どのようなときに成長したと思ったかを振り返るものです。こうした振り返りをすることで,部下の指導に役立てるばかりでなく,これからのセカ

ンドキャリアを考えるときの参考にもしようというものでした。
 山本さんは自分が描いた曲線を見て,自分の充実度も成長も,管理職になってからは全く変化がないこと,曲線ではなく直線を描いていることに気づきます。ここ数年は充実している実感も,成長している実感も持てません。かつては食品会社である当社が新しい分野に参入するときに,大胆な発想で先鞭(せんべん)をつけたことで高く評価されましたが,いまでは借りてきた猫のようにおとなしくなっています。
 山本さんは同時に,失敗してもいいからと難しいことや新しいことに挑戦してきたことが自分を成長させてきたことに改めて気づきました。また,最近は挑戦を避けるような仕事の取り組み方を知らず知らずのうちに選択していることにも気づきました。異業種からの参入が増え,担当分野の競争が激化し,収益があがらないどころか会社の中ではお荷物のような部門になってしまってからは,小さな失敗も命取りになる可能性があります。部下に対しても,確実性が高く大きな失敗がないような仕事への取り組み方やすすめ方を指導しています。
 この部署に配属されてから,すでに6年以上経っています。他の部署へ異動し他の商品やサービスを扱ってみたい,企画系の管理部門に異動し,会社の経営に関与してみたいという希望もありましたが,自分の年齢や経験を考えると異動も難しいように思えます。その結果,どうしても文句を言われない,責任を問われることがない程度の成果を出し,大きなトラブルやエラーを出さない仕事のすすめ方になっています。
 自分の知識や経験を活かし,部下の育成はしっかりやっているつもりです。しかし,この先,会社にいま以上に貢献するためにはどうしたらよいか,さらに役職定年後,また会社を離れた後はと考えると,具体的な考えが何もないことにも気づくのです。
 山本さんより年下の上司からの評価は,特に良いというわけではありませんが,それほど悪くもありません。部門の中長期的な計画を説明する場面では,修正を命じられることもなければ,アドバイスされることもありません。上司は自分より年上の山本さんに気を遣ってくれているようです。
 最近は,体力以上に気力が低下していることも実感します。担当分野で成果を出し続けている他の管理職たちを見ると,あのとき,あの商品を扱っていればもう少し状況は変わっていたかもしれない,あの取引先と関係を深めることができれば大きな成長が見込めたかもしれないと後悔することも多くなっています。
 このようなときに,いままで取引をしたことがない,ネット通販大手との大型商談の話を部下が持ってきました。取引条件はとても厳しいものですが,うまく参入できれば他の商品を納入する機会も得られそうです。取引量も多く,期間も長いのですが,利益が確保できるかどうかぎりぎりの納入価格を提示されています。山本さんとしては流通コストや保管費,その他経費を見直し,確実に利益が得られる確証を得てから回答したいと考えていました。ところが,回答が遅れた結果,商談はライバル企業に持って行かれ,参入の機会を逃すことになってしまいました。
 部下は冷たい視線で山本さんを見ます。今度ばかりは年下の上司も,「なぜ,もっと早い段階で相談してくれなかったのか」と山本さんの行動を批判しました。

 設問と研究課題(解説)

【設問1】山本さんのような“燃えない中堅社員”のやる気を引き出すためには,
     上司はどのような指導,仕事の任せ方をすればよいでしょうか?

 部下や後輩のやる気を引き出す,モチベーションを高めるためには,一般的には下の図表のように,部下の経験と主体性,すなわち成熟度に応じた仕事の任せ方をするとよいとされています(図表4参照)。

 「@経験が浅く不安を示す部下」は新入社員などで,「A経験は浅いがやる気がある部下」は入社してから3年目前後の社員になります。どちらも若手社員に対する仕事の任せ方になります。「C経験・知識・主体性ともに十分な部下」は,30代のまさに仕事に脂がのった時期の社員

に対する仕事の任せ方です。最も重要で配慮が必要なのが,「B経験・知識は十分であるのに実力を発揮しようとしない部下」です。山本さんのような“燃えない中堅社員”がこれに該当します。指導方法としては具体的な指示は少なく,自分で考え行動する機会を多くする,すなわち権限委譲をすすめ,主体性を発揮させるようにすると効果的です。
 山本さんの上司は山本さんより年下です。この場合,上司としては山本さんの過去の経験や実績を認めて尊重し,山本さんの活躍を期待していることを率直に伝えるのがよいでしょう。部下が年上で,自分より経験や知識が豊富というケースも多くなりつつあります。役職定年で,かつての上司が部下になるということも珍しくありません。現在のリーダーに求められていることは,若手社員の育成だけでなく,ベテラン,年上社員のやる気と能力を引き出し,チームのパフォーマンスを高めていくことなのです。
 しかし,山本さんの場合は状況が少し複雑です。年下の上司は山本さんの経験や実績を認めたうえで,細かい指示は出さず,権限委譲をかなりすすめているようです。また,期待も伝えています。しかし,もう少し関与の度合を強めてもよいと思います。また,少し難しいかもしれませんが,山本さん自身が抱えている当面の仕事のすすめ方についての疑問や悩みを聴く機会を何とか持つようにするとよいでしょう。
 特に,“戦略的思考”を強化する指導を行います。担当分野の競争激化や市場の縮小があれば,新たな戦略や近い市場への進出計画など,やや難しいことの指示も検討します。意思決定が遅れ,ライバル企業に仕事を奪われたのは,山本さんに“戦略的思考”が不足していたことに気づかせます。
 また,良くもなく,悪くもない評価は避けるべきです。山本さんにとっての強みや上司からの期待が伝わるようなメリハリのある評価を心がけましょう。事実に即した客観的な評価はモチベーションを高めるためにも必要です。

【設問2】山本さんのような“燃えない中堅社員”がやる気を出すための人事制度や体
     制としては,どのようなものが考えられるでしょうか?

 中堅社員の活性化,活用,能力開発は,今後予想される労働人口の減少に伴う人手不足,人材不足の観点からも重要となります。若年層だけでなく,中堅社員,さらに年齢層が高い社員が自身の実績,専門性を活かして新たな分野に挑戦することができる人事制度,体制の構築も必要になります。
 まず検討したいのは人事異動です。山本さんは「この部署に配属されてから,すでに6年以上経ち,当初は他の部署へ異動し他の商品やサービスを扱ってみたい,企画系の管理部門に異動し,会社の経営に関与してみたいという希望もあったが,自分の年齢や経験を考えると異動は難しいのか」と考えるようになっています。山本寛氏の説明する4種類のキャリアの停滞の中で,“燃えない中堅社員”の行動に最も影響を与えるのは「配置転換の停滞」です。
 フレデリック・ハーツバーグは仕事における意欲要因(動機付け要因)として,達成,認定,責任,成長,仕事そのものをあげています。他の社員が異動して新しい仕事を担当しているのに自分は配置転換がなく,縮小している市場で同じ仕事を続けていては成長することは難しくなり,達成感が得られなくなります。
 山本さんの場合は異動の希望を聞かれたこともなさそうです。「配置転換の停滞」は結果的に「仕事の停滞」「昇進の停滞」につがなる可能性があります。特に同じ部署に長くいることで「成長感」を感じることができなくなってきます。中堅社員こそ成長の実感を得ることが重要です。中高年や高齢の社員を活躍させるためには,「配置転換の停滞」が起こらない制度が必要です。
 また,目標管理制度などを活用してチャレンジングな目標を設定するのも良いと思います。達成することができれば,達成感や成長感を感じることができるはずです。チャレンジングな目標が達成できたときは,あくまで加点評価をするようにします。減点評価は結果的に“燃えない中堅社員”を生み出すことになります。

【設問3】山本さん自身はどのように行動や考え方を変えれば,かつてのようにやる気
     を出すことができるでしょうか?

 最初にすることは,部下や同僚,上司と積極的なコミュニケーションをとることです。“雑談”,すなわち自由な立場で意見交換し,少しばかり本音を吐くことができれば,周囲との距離も縮まり,気持ちも楽になるはずです。
 次に,行動的になることです。じっくり考えてから意思決定や行動することも重要ですが,その結果行動や意思決定が遅くならないようにします。さらに,否定的に物事を見ない,“ポジティブシンキング”,すなわち楽観的に仕事に取り組み,失敗を恐れないようにすること,ストレス耐性を高める生活をすることも重要です。どうしても気力が湧いてこない,さらに体調もすぐれないというのであれば,カウンセリングや専門医の診察を受けることも検討すべきです。セカンドキャリアについても是非積極的に考える必要があります。

 解 説 ―― 解決策のヒント

 「設問と研究課題(解説)」のページでは,リーダーシップやモチベーションマネジメントの考え方にもとづいた解説を行いました。ここでは,異なった視点や立場からこのケースを見ていき,解決策の別の方向性を考えます。

 解決のヒント1:ヒューマン・スキル,コンセプチャル・スキルを磨き貢献する

 『マイ・インターン』というアメリカ映画がありました。高齢化社会の生きがいと女性の社会進出に伴う問題をテーマにした映画です。ファッションサイトを運営する会社の女性社長であるジュールズ(アン・ハサウェイ)は,会社の福祉事業として雇用することになった40歳年上のシニア・インターンのベン(ロバート・デ・ニーロ)を最初は疎ましく思います。しかし,ベンの豊かな人生経験に裏打ちされた誠実な人柄や仕事ぶりに触れて,人生の知恵を学んでいく,というストーリーです。70歳代のベンは仕事について,テクニカル・スキル(業務遂行能力)では貢献できませんが,長い仕事人生で培ったヒューマン・スキル(対人関係能力)やコンセプチャル・スキル(概念化能力=物事の本質を見る能力)で女性社長に貢献したのです。  米国の経営学者ロバート・L・カッツが提唱したカッツモデル(図表5)では,階層があがるにつれてテクニカル・スキルだけでなくヒューマン・スキルやコンセプチャル・スキルが求められるようになるとしています。

 山本さんは,自分のテクニカル・スキルが古くなり,自信を持つことができないようになっているのかもしれません。ヒューマン・スキルやコンセプチャル・スキルを再構築し,自信を持って業務に取り組む機会を上司や会社が提供する,テクニカル・スキルについては部下を信頼し,大

きく権限委譲するようにすると自信が回復できるはずです。

 解決のヒント2:キャリア・プラトー(キャリアの停滞)を受け入れる

 山本さんが,自分はキャリア・プラトーの状態にあるのではないか,と思いはじめたのは,会社のキャリアデザイン研修を受講したことがきっかけでした。「自分の仕事人生は終わってしまったのかもしれない」というキャリア・プラトーの状態に気づくことができましたが,まだそれを受け入れたとはいえません。
 キャリア・プラトーは会社の仕事や体制だけではなく,「人生の停滞」「仕事に対する価値観の変化」「高齢化社会(人生100年時代)の変化」「社会そのものの不透明感」も影響しています。仕事の取り組み方を変えるだけでは対応できないかもしれません。
 そのためには,まず社内外の先輩たちに,どのようにキャリア・プラトーと向き合い,対応したか話を聞きに行くとよいと思います。自身のキャリア・プラトーを受け入れ,対応方法を考えましょう。そのうえで,目の前の仕事にどのように取り組んでいくか,セカンドキャリア(定年後)を踏まえてどのような計画を立てればよいかを考えていきます。

 解決のヒント3:セカンドキャリア(定年後)も視野に入れたチームに役立つため
         の戦略を描く

 キャリア・プラトーの状態を受け入れた後は,“自身の成長のための戦略”を検討します。現在,60歳で定年を迎えた人の多くが,再雇用制度を利用して引き続き同じ組織で働き続けているそうです。
 東京都が行った『高年齢者の継続雇用に関する実態調査』(平成24年調査実施)では,86.1%の事業所が「継続雇用制度の導入」をし,定年到達者の65.8%が継続雇用されています。「雇用延長」の場合は給与などの待遇,立場が大きく変わることは少ないようですが,「再雇用」の場合は,待遇,仕事を行ううえでの役割は変わり,なおかつ権限,責任がはっきりしない場合が多く,とても良い条件で働くことができるとはいえない状況のようです。はじまったばかりの制度のためか,「再雇用」によって経験を積んだベテラン社員の能力をどのように活かすか,活用するかという制度や仕組みはまだうまくいっているとはいえないようです。
 一方,「雇用延長」で定年後も活躍している人たちもいます。大手企業では,海外の現地法人で活躍するエンジニアなど60歳代後半の人たちが少なくありません。多くの人たちが専門性の高い仕事をしていますが,専門性が高いばかりでなく,考え方が柔軟であり,新しい技術や考えを受け入れる受容性も高いように見えます。懇親会などでは若手社員にも気軽に冗談を言っています。ポジティブ,つまり前向きで明るいことも共通しています。その理由は「職場の仲間の役に立っている」という気持ち,「職場のメンバーとの一体感」ではないか,と考えることができます。
 山本さんに関していえば,まず仕事をすすめるうえでの戦略的な思考を強化する必要があるでしょう。それと同時に,現在の仕事の経験や実績,人脈をセカンドキャリアにつなげていくことを考えて目の前の仕事に取り組むようにすべきです。もちろん,何らかの専門性を発揮できる場や機会があれば,それに越したことはありません。仕事に役立つ資格取得や専門能力の確保のための勉強や研究をはじめてもよいでしょう。
 重要なのは,会社よりも職場の仲間,チームの役に立つ存在になれるかということではないかと思います。戦略が描ければ,新たな挑戦も躊躇なくできるはずです。描いた戦略がうまくいくかどうかはわかりませんが,職場は山本さんにとってもっと居心地の良いものになるはずです。

 解決のヒント4:自分自身の働き方改革

 自分自身の働き方を変えてみることも検討すべきです。山本さんはどこかで,若かったころの仕事のすすめ方を懐かしがっているところがあります。過去の仕事のすすめ方や成功体験にとらわれているのかもしれません。仕事,職場中心のライフスタイルを見直し,自分自身のワークライフバランスを考えた働き方を取り入れる必要があります。

 そのようにすると,いままで見えなかった様々なことが見えてきます。ワークライフバランスを考えた仕事をするためには,仕事は属人的なものではなく,プロセスが明確にされ,標準化されたものであることが必要になります。また,効率を考えれば,IT化やAIの導入は必須のものとなってくるでしょう。新しい情報通信ツールを活用しながら,いままで以上に部門内の風通しがよくなる運営が,管理職に求められていることも理解できるはずです。

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